“国境稜線”(谷川岳~平標山)は日本一なり

◼️日程:2023年11月3・4日(土・日)
◼️行程:11/3(土)(JR上毛高原駅-バス)ロ-プウェ-(天神平)09:04~12:10谷川岳オキノ耳~14:50大障子小屋(泊)
11/4(日) 大障子小屋05:50発~10:40仙ノ倉山~(平元新道)~14:40平標山登山口(タクシ--JR越後湯沢駅)
◼️メンバー:miya、high、manabu、maru
◼️内容:
青空と新雪にぶな林が煌めいていた今年(2023年)3月の「日白山」で、近く平標山を望み話題となりながらも、天候不良による2度の計画延期を経て実現した“日本一の稜線”1泊2日の山旅だった。
 “日本一”とは何を根拠に、との批判あっても、それは聞けない。そう思っちゃったんだからしかたない、ということだ。
 
「国境」にある稜線は全国に数多あろうが、岳人に“国境稜線”と問えば、それは谷川岳-平標間の稜線を指す(はず)。谷川岳、オジカ沢の頭、万太郎、大(小)障子、エビス大黒、仙ノ倉そして平標、日本アルプスの峰々に比べれば1千mも低く、最近では無雪期に1日で通過する強者もあるようだが、”ザ国境”たる栄光は今でも色褪せない。“国境稜線”には、太平洋側と日本海側気候を分かつ大規模かつ明瞭な分水嶺であること、本州中部にあって2千mに満たない標高ながらもその気候特性から稜線全てが森林限界線上にあること、の意味が込められているのだと思う。

 谷川岳東面の岸壁群での山岳事故と異なり“(道標)マツダランプ”(注.)に象徴されるこの稜線上での山岳事故は、ひとえに気象の厳しさによるもののようだ。11月に「夏山」として行くには常識外、と自分には思えていた。この両日、東京では予報どおりに晴れ、20℃に達していた、谷川岳方面も同様の好天、その予報あったればこその登山だった。天神平から谷川岳へは、11月に入ったこの時期でも、おそらく数百人規模で登山者があった。一方で、谷川岳肩の小屋を越え“国境稜線”へ踏み込む者は稀だ、11月という時期を思えばなおさら。それでもこの週末この稜線を通過した者はおそらく20人くらいだったか。
 この稜線上は、テント泊禁止とされ、もとより適地もほとんどないから、多くは稜線の中間にあり、比較的大きい「大障子避難小屋」泊りとなる、重い水を持って。

注.マツダランプ
「マツダランプ」の道標(の第1号)は、谷川岳〜平標間に1950年の山岳事故後に、500mおきに設置され、現在、その一部が残っているものという。1950年11月4日、仙ノ倉岳-平標間の鞍部にて「東芝マツダ」パーティ-他計5人が風雪の中遭難、その事故をきっかけに「マツダランプ山岳部」によって設置されたものとのことだ。その(73年後の)奇しくも同じ日に、我々はその鞍部を通過していたことになる、夏様の天候だったが。


①谷川岳(天神平から)
夏山のような賑わいだった。


②爼嵓(マナイタグラ)・オジカ沢の頭
残雪期には小出俣(オイヅマタ)山から俎嵓を越えてオジカ沢頭に至れる


③谷川岳(オキの耳)
遠く日光の山々を望む


④国境稜線(谷川岳から)
いろんな機会に紹介される風景、歩いてみたいが何か不安を思わせる山の連なり


⑤茂倉岳を望む、足下にマツダランプ
この稜線上では数個が残るのみ「マツダランプ」道標(オレンジ色の空き缶を差した様) 設置は約70年昔


⑥万太郎山からの下り
この稜線の盟主たる貫禄だ


⑦赤谷川本谷源流部
赤谷川本谷をよじ登ってきた者からは“ユートピア”と呼ばれている


⑧(大障子小屋近くから)朝日
11月では日が出るのは遅い


⑨国境稜線(遠く万太郎)
よくぞここまで歩いてきたものだ は山歩きしていてよく思うこと


⑩万太郎山と大障子小屋
建て替えられた避難小屋はコルゲ-トタイプ8人くらい泊まれる 水場まで往復20分


⑪仙ノ倉岳から苗場山を望む
この稜線上の最高点 谷川岳からの縦走はこの仙ノ倉岳を目指すことになる


⑫平標山とナナカマド
僅かにナナカマドの赤い実が山に彩を添えていた 小屋は既に営業終了し、冬季避難小屋としての入り口が鉄ハシゴの上端に
記/maru

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